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日本の自動車の歴史はここから始まった。豊田喜一郎の夢と情熱が生んだ奇跡の流線型「1936年式 トヨダAA型乗用車(型式:AA)」

昭和11年(1936年)、日本の土埃舞う未舗装路を走っていたのは、その大半がフォードやシボレーといったアメリカ車でした。そんな時代に、「日本人の手で、日本の国情に合った車をつくる」という途方もない夢に人生を賭けた男がいます。のちのトヨタ自動車創業者、豊田喜一郎です。周囲の猛反対を押し切り、彼が血の滲むような努力の末に世に送り出した初の生産型乗用車「トヨダAA型」。それは、現在の私たちが享受している日本の自動車産業が、初めて産声を上げた瞬間でした。

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逆風の中から生まれた「日本人のためのクルマ」

当時の日本は、「自動車=欧米のもの」という常識に完全に支配されていました。豊田自動織機の常務だった喜一郎が1933年に自動車部を立ち上げたとき、「無謀だ」「織機で儲けた金をドブに捨てる気か」と冷ややかな目が向けられたのも無理はありません。

それでも彼は退きませんでした。目指したのは、外国車の単なる模倣ではなく、日本の過酷な悪路や急勾配を走り抜くタフな実用車です。深夜の工場に泊まり込み、試作エンジンが何度も壊れる様子を前にしながらも、1935年についにA型エンジンを完成。翌1936年4月、念願の量産モデル「トヨダAA型」が誕生します。同年秋に東京で開かれた完成記念展覧会でこの車を見上げた人々の目には、国産技術への驚きと、得体の知れない未来への高揚感が映っていたはずです。

「未来」を形にしたデザインとメカニズム

AA型の前に立つと、当時としてはあまりに前衛的なその姿に目を奪われます。アメリカで芽生えつつあった空力思想「ストリームライン(流線型)」を取り入れ、クライスラー・デソート・エアフローなどを研究しながらも、日本独自の美意識で仕立て直したスタイリング。丸みを帯びたフェンダーからすっと後方へ落ちるルーフライン、そして威風堂々とした縦型グリルは、道行く人々にとってまさに未来の乗り物でした。

特筆すべきは、木材の骨組みに鉄板を張るのが当たり前だった時代に、「オールスチール(全鋼鉄製)ボディ」に挑んだことです。巨大なプレス機と溶接技術を駆使して作られた強靭なボディは、自動車の安全性の概念を大きく変えました。

ボンネットの下には、独自の改良を加えた3.4L水冷直列6気筒OHV「A型エンジン」(65馬力)を搭載。さらに、エンジンを前車軸の真上寄りに押しやることで、広い室内空間と、悪路をものともしない後席の快適な乗り心地を実現しました。これは、現代の車のパッケージング思想にも通じる極めて合理的な設計です。

トヨダAA型 主要スペック

項目スペック
車両型式AA型
全長×全幅×全高4,785mm × 1,730mm × 1,736mm
ホイールベース2,850mm
車両重量1,500kg
エンジン種類・排気量水冷直列6気筒OHV・3,389cc
最高出力65ps / 3,000rpm
最大トルク19.4kg・m / 1,800rpm
駆動方式FR(後輪駆動)
トランスミッション3速MT(前進3段、後退1段)
乗車定員5名
販売価格(当時)3,350円(名古屋店頭渡し)※当時の家一軒分に相当

錆びた鉄板に宿るモノづくりの体温

1936年から1942年の間に生産されたAA型は、わずか1,404台。戦火や物資不足の波に飲まれ、過酷な使われ方をした結果、オリジナル車両は地球上から姿を消したと長らく信じられてきました。

ところが2008年、ロシアのウラジオストク近郊の農場で、朽ち果てながらも原型を留めた1台が奇跡的に発見されます。現在、オランダのローマン博物館に眠るその車体は、ピカピカに修復されることなく、あえて錆や傷をまとった当時の姿のまま展示されています(※愛知県のトヨタ博物館では、当時の図面から新車同様に復元された美しいレプリカを見ることができます)。

ボロボロになった現存車両の錆びた鉄板の奥には、何もない時代に世界に挑んだ豊田喜一郎と、名もなき技術者たちの体温が今も確かに残っています。トヨダAA型は、博物館のガラスケースに収まる単なる古い機械ではありません。私たちが今日、当たり前のように日本のクルマに乗り、ステアリングを握るたび、その足元にはかつてこの1台を生み出した人々の強烈な熱と執念が息づいているのです。

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